【犬のしつけ】そもそも行動的に間違っている方法は議論の余地すらない件。

ドッグトレーニング(犬のしつけ)にはいろいろな方法がありますね。

プロのドッグトレーナーさんの間でも、さまざまな違った方法が行われています。

褒めて教えるか?

叱って教えるか?

その両立が大切なのか?

なかなか答えの出ない難しい問題です。

そもそも答えなんてあるのでしょうか。

 

私はこのような題目にもっと議論があってもいいのではないかと思っています。

例えば、

叱らなくても解決できる問題に嫌悪的刺激を使用する必要があるか。

起こっている行動的問題の深刻さによって、臨機応変に考え方を変える事が大切なのではないか。

嫌悪刺激の出現が問題行動を減少させるのは事実だが、ではどこまでの嫌悪刺激が容認されるのか。

嫌悪的刺激を用いないと言っても、その場に存在する刺激全てを排除することは可能なのか。

などなど、

嫌悪的刺激を頭ごなしに否定するのではなく、社会的妥当性や動物福祉を考慮した議論が活発化される事は、ドッグトレーニングの発展につながると思っています。

 

 

でも、

このような議論ができる段階にすらないモノがあります。

 

それは行動的に間違っているという方法です。

 

例えば、

トイレトレーニングで叱って教えるか褒めて教えるかということ。

そもそもトイレトレーニングを叱って教えることはできません。

トイレの失敗を叱ると、犬は飼い主の前で排泄をしなくなります。

飼い主の目の届かない所で隠れて排泄しようとするようになってしまいます。

トイレトレーの上で排泄するという事を教えるのに、叱る方法は効果の無い、行動的に間違った方法なんです。

動物福祉の概念を持ち出して議論する段階ですらないモノということです。

 

 

犬の問題行動に対するアプローチは、その問題行動の変容が目的のはずです。

だからその問題行動に全く変化をもたらさないような関係のない事をしている方法に対して、なんの議論をすればいいのかと私は思ってしまいます。

 

インターネットやテレビで紹介されるトレーニング方法の中には、

なぜそこで褒める?

なぜそこで叱るのか?

と、疑問に思うものがたくさんあります。

行動の原理から考えると、明らかに頓珍漢なタイミングでおこなっている方法です。

 

私の想像なのですが、

このような方法を提案されている人達は、犬の何か精神的なモノに訴えかけようとしているのではないかと思います。

 

たしかに

心を育むこと、

信頼関係を築くこと、

傷ついた心を癒すこと、

とても大切な事だと思います。

でもそれらは、行動的に間違っていない方法の上で考える事ではないでしょうか。

 

そうしないから、効果の無い方法を長年延々とさせられる飼い主さんが出てくるのです。

 

精神論や個人の教育論だけでドッグトレーニングをしている人達となかなか議論ができないのは、

このへんの考え方の違いがあるからなのかなと思ったりします。